1 造船じん肺の歴史

我が国において、じん肺問題は既に1890年代(明治20年代)に鉱山労働者特有の職業病として、その予防対策と共に我が国に紹介されている。そして、1936年(昭和11年)には、工場法施工例の改正により造船所等におけるけい肺(今日のじん肺)を業務上の疾病として取り扱うようになった。即ち、すでに約80年前に「造船所におけるじん肺問題」は、国や造船業界に広く知られていたことなのである。しかし、この間、三菱をはじめとする全国各地の造船所において、何ら有効なじん肺防止対策も取られないまま多数のじん肺患者が発生し続けてきた。

 

2 訴訟の歴史

三菱長崎造船じん肺損害賠償請求第1陣訴訟は、1998年12月25日に長崎地方裁判所に提訴され、2002年6月7日に和解によって解決した。同第2陣訴訟は、2003年12月10日に提訴され、2009年2月9日福岡高等裁判所の判決によって解決した。その後、長崎造船所で就労してじん肺に罹患した本工に対しては救済制度が設けられた。しかし、下請け企業従業員らにはそのような救済制度は未だ存在せず、訴訟を提起するしかないのが現状である。そこで、訴訟を提起せずとも救済される制度を設けることを目的として提訴されたのが、第3陣・第4陣訴訟なのである。

 

3 訴訟の現状

  第3陣訴訟は、2016年(平成28年)4月7日、15名の下請け企業従業員(内2名は死亡原告)によって提起された。その後、3名が追加提訴されたが、訴訟継続中、2名の原告が相次いで亡くなられた。第4陣訴訟は、2019年(令和元年)9月2日、4名の下請け企業従業員によって提訴されたが、現在は3名となっている。